日本三大急流の一つとして知られる富士川。中でも富士川最大の難所として恐れられた『釜口峡』は、川船やいかだが難破し、多くの人命が失われました。富士川にかかる唯一の吊り橋があった場所でもあり、その姿は、世界的浮世絵師である安藤広重の作品にも見受けられます。
■ 唯一の吊り橋
釜口峡にかかっていた富士川唯一の吊り橋の歴史は古く、身延山へ向かう日蓮上人が、この橋を通って内房に渡った(鎌倉時代)と伝えられています。その後も「富士川には橋がなかった」のですが、これは家康の防衛政策により「橋をかけさせなかった」と言うほうが正しいようです。
■ 釜口峡
断崖絶壁で圧倒される景観の釜口峡は、富士川の川幅が一気に狭まり、川水が渦を巻き、あたかも釜の湯が煮えたぎっているかのように見えました。このため村人は「釜」といって恐れたそうです。
■ 水難供養塔
釜口峡では、多くの人命や物資が呑み込まれ、不安定な吊り橋から落下し命を失う人も後を絶ちませんでした。このため、一六一八年に『水神山・本立寺』を建てて供養しましたが、後に廃寺となり、一八五七年に水難供養塔が建てられました。以後、毎年八月十六日には供養祭がおこなわれています。
富士川の川幅が一気に狭まり渦を巻く『富士川最大の難所』として恐れられていた。曲がりくねった流れと断崖絶壁の景観は圧巻。