このコーナーでは、月刊無料情報誌「アウターネット」で紹介した、地元(富士市・富士宮市・旧富士川町・芝川町)のお勧めスポットや史跡・名勝・文化財・観光スポットなどを紹介しています。

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小田貫湿原 2007年9月号

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 富士宮市、田貫湖北岸の高原地帯に広がる小田貫湿原は、富士山地域で唯一の湿原です。「静岡の自然100選」「ふるさといきものの里100選」にも選ばれているのですが、地元の人にはあまり知られていないようです。

■ 蝶・トンボの楽園

 周囲約900メートルの湿原は、深い森で囲まれていますが、ここだけは別世界のように開放的な景色が続いています。大小120を越える池が点在し、珍しい昆虫も多く生息。特に蝶は約七〇種、トンボは約三十種が生息しているそうです。実際、多くの蝶やトンボがいましたが、残念ながら写真に収めることはできませんでした。

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■ 木道を歩く

 湿原の東西を貫くように走る木道を進むと、多くの湿原植物を間近に観察することができます。すばらしい景観に思わず「ここが富士宮だ」ということを忘れてしまいます。

■ 自然の織りなす交響曲

 小田貫湿原は、視覚的にも感動しますが、最も感動的なのは『音』です。風に揺られる草花の隙間を縫って聞こえる小鳥の歌声や虫のコーラスによるオーケストラは、地球上に存在するどんな交響曲よりも素晴らしいと言えます。

 30分〜1時間程度で堪能できる湿原で、心と体を癒しましょう。

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小田貫湿原には、珍しい植物や昆虫が生息していますが、採取・捕獲はしないでください。かけがえのない自然を破壊しないよう、ゴミなどは必ず持ち帰り『ルールとマナー』を守りましょう。

陸軍少年戦車兵学校跡(若獅子神社) 2007年8月号

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 陸軍少年戦車兵学校の跡地(若獅子神社)が、富士宮市上井出にあるという事実を知ったのは、つい最近のことである。境内にあるサイパンからの帰還戦車を見た時の衝撃は今でも忘れられない。そして「日本人として、広島や長崎をはじめとする多くの地を見ておく必要がある」という気持ちが込み上げて来ました。この地に住む人間として若獅子神社に一度は訪れ、手を合わせていただきたいと思います。

■ 陸軍少年戦車兵学校

 昭和十七年、約三十万坪という広大な敷地に『陸軍少年戦車兵学校』が完成、戦地に赴いた多くの卒業生が、戦没者となってしまいました。

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■ 若獅子神社

 昭和四十年十二月、学校跡のこの地に若獅子の塔を建立したのを起源とし、以来毎年慰霊祭を執り行い、英霊の奉慰・奉顕に務め、建塔二十年を期に富士山本宮浅間大社・靖国神社の御教導により、永久平和への祈りをこめ若獅子神社が創建されました。

■ 帰還戦車

 もっとも熾烈をきわめた玉砕の島サイパンにて四十余命の少年戦車兵とともに、勇戦奮闘、祖国の礎となり戦後三十年土中深く無縁をかこっていました。無数の弾痕は戦争の激しさを訴え
満身の赤錆は、戦いの空しさを語り、平和の尊さを教えています。

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今回の取材時、偶然参拝に来ていた陸軍少年戦車兵学校の卒業生(狩宿在住)の方に当時の話を伺いました。そして、現在の平和は多くの犠牲者の上に築き上げられたものであるという事を痛感しました。特に「私達は大和民族の日本人です」という言葉が強く印象に残りました。狩宿のおじさん、ありがとうございました。

富士講の聖地『人穴』 2007年7月号

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 富士宮市人穴にある溶岩洞窟『人穴』は、日本有数のパワースポットとして知られています。また、さまざまな伝説を残す魅惑のスポットでもあります。有名なわりには、人の気配に乏しく『隠れた名所』と呼ぶのにふさわしい場所と言えます。

■人穴は、長さ約90mの溶岩洞窟です。鎌倉幕府二代将軍の源頼家による「富士の巻狩」の際に、家来であった新田四郎に命じて探検させ「穴は江ノ島まで続いている」という説や、富士講の開祖、藤原角行による「千日の行」などの説が有名です。また、鳥居をくぐると事故に遭うとか、境内でゴミを捨てると呪われるなど、挙げればきりがない程の説があります。

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■ 神秘的な洞窟

 地下に向かう石階段を下ると洞窟が広がり、真夏でも白い息が出る程冷んやりしています。木道を進むと
角行が修行したとされる祠や、石碑などがありますので、必ず手を合わせましょう。洞窟内は真っ暗で、湿っているため、懐中電灯と長靴は必須です。

■ 人穴浅間神社

 境内を歩くとひときわ目を引くのが、二百基以上が林立する石碑群です。この石碑群の多くは江戸後期のもののようで、この神社を氏神とする旧人穴村の人達が、村中安全などを祈願したものや、富士講関係者の記念碑または供養塔のようです。

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※注意
石碑は風化により、不安定なものが多く、倒壊の危険があります。石碑には絶対に近づいてはいけません。

富士講(ふじこう)とは、富士山とそこに住まう神への信仰を行う富士信仰の一派です。戦国時代から江戸時代初期に人穴(静岡県富士宮市)で修行した藤原角行によって創唱されました。     (Wikipediaより抜粋)

新稲子川温泉 ユー・トリオ 2007年5月号

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 芝川町営の温泉施設『ユー・トリオ』は、家族連れに超お勧め!「名前は知っていても、行ったことがない」という方も多いようですが、かく言う私も、行くのは今回が初めて。それにしても、こんなに近くにあってこんなにも田舎(良い意味で)があるとは夢にも思いませんでした。
 芝川町役場前を通過し、山の谷間を流れる稲子川沿いを走ると、吊り橋がいくつも目に止まります。思わず車を停め、童心に戻っていざ渡橋。取材を忘れていることに気づき、急いで車を走らせるが、サッシ窓のない、縁側のある民家郡を発見し、またもや車を停める始末。気づいた時にはユートリオを過ぎていました。着く前に旅行モード全開です!

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 さて、肝心のユー・トリオは、温泉プール・男女別露天風呂・大浴場と三つのタイプのお湯が楽しめる他、バーベキュー場やテニスコートも備えているので、手ぶらで行っても一日中楽しめます。プール棟には、ジャグジー・寝湯・打たせ湯・サウナもあり、家族で過ごすには最高の環境と言えます。

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 私が『家族』と強調するには、もう一つ理由があります
ユー・トリオに向かう道中にはダンプが多く、一人では心理的に不安を感じるかもしれないからです。しかし、それを考慮しても十分価値のある施設であることは間違いありません。何よりも特筆すべきは、「これだけ楽しめる施設にもかかわらず、混雑していない」ということでしょう。

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■新稲子川温泉 ユー・トリオ
 〒419-0311
 富士郡芝川町上稲子1219
 ☎ 0544-66-0175
 http://www.wbs.ne.jp/bt/shibakawa/
※営業時間・料金等、詳しくは上記へお問合せ下さい。

村山浅間神社 2007年4月号

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 富士宮市村山に、ひっそりとたたずむ浅間神社。ここはかつて、富士山で最も古い登山道『村山口』があり、富士山信仰と富士登山の中心であった。神仏習合の姿をとどめる境内には、県指定天然記念物の大スギと大イチョウがあり、樹齢五百年と言われる大スギは、幹周九・九m、樹高四十七mの巨木で、村山浅間神社の御神木となっています。また、かつての登山者が身を清めた水垢離(みずごり)場や護摩壇など、当時の面影も残っています。現在、参拝者の姿はほとんどなく、少々さびれた感のある神社ですが、地元で、これほどタイムトリップできる場所も少ないと思います。

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 浅間神社と言ったら、多くの人が『木花咲耶姫(このはなさくやひめ)』を思い浮かべると思いますが、浅間神社は本来『浅間大神(あさまのおおかみ)』という火山の神を祀る神社でした。平安時代末期、富士修験を開いた末代上人の修行中にしばしば「浅間大菩薩」が出現し、上人はこの浅間大菩薩と浅間大神は同一であるとの悟りを得たのだそうです。その菩薩が「木花咲耶姫」であるとの思想が出現し、富士山と木花開耶姫が結びついたとのことです。

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 最古の登山道があった村山口は、一九〇六年、大宮新道開通により廃道となってしまいました。しかし、村山を中心とする市民ボランティアの活動により、廃道から約百年を経た村山口からの登山が可能となったのです。登頂のみを目的とした近年の富士登山ではなく、歴史・文化・自然を味わえる、村山口からのスローな登山にこそ価値があるのかもしれません。

※注意
村山口からの登山は、必ず経験者同伴で行って下さい。