このコーナーでは、月刊無料情報誌「アウターネット」で紹介した、地元(富士市・富士宮市・旧富士川町・芝川町)のお勧めスポットや史跡・名勝・文化財・観光スポットなどを紹介しています。

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富士と港の見える公園【2009年5月号】

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■ 概要

 富士市の田子の浦港の東側にある『富士と港の見える公園』は、その名前の通り富士山と港の両方が見える公園です。田子の浦港には、石油基地があったり工場が多いのでときおりタンカーや大型船舶も港に入ってきます。公園内には、ツリーハウスのような展望台、遠くからも目を引く白く巨大な仏舎利塔、阿字神社などがあります。また、石水門碑や見附跡などこの地にまつわる史跡や、すべり台などの木製遊具もあります。このように、様々な要素を合わせ持つ『なんとも不思議な公園』と言えます。

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■ 展望台

 展望台からは、港と富士山がよく見えます。立地が工場地帯の中にありますので、手前側は工場のやや無機質な風景というのが、この公園の特徴でしょうか。

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■ 吉原宿

 東海道が整備される戦国時代まではこの辺りが吉原宿とされていました。当時は船渡しが行われており、そのための番小屋(見付け)が設けられていました。江戸時代になると、街道は左富士を通り今の吉原商店街を通るコースに変更されました。

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横井照子富士美術館【2009年4月号】

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■ 概要

 日本に生まれ、米国で学び、スイスに暮らす画家・横井照子さんの作品を展示する個人美術館が富士市中野にあります。横井さんは、日本の四季の移り変わりや、草や花の可憐で細やかな表情を深く愛し、自然の優美、厳しさ、雄大さに想を得た数多くの作品を制作・発表されてきました。 横井さんが愛する富士の麓に開いた美術館は、設計やデザインにも横井さんのアイディアがふんだんに盛り込まれています。日本と西洋、具象と抽象のあわいを自由に往還する横井さんの美しい世界、その独自の美の世界に触れてみて下さい。

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■ 個人美術館

 横井さんと館長の川口智恵子さんの母親は長年親しく交際してきました。「地元へのささやかな文化貢献のつもりで建設した」という『横井照子富士美術館』は個人美術館で、構想から約五年の歳月を経て平成二十年の十一月にオープン。館内に併設されたティールームからは、横井さんが愛する富士山が眺められます。

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■ 横井照子

 横井照子さんは、一九二四年生まれで愛知県津島市出身。日展入選後、米国で活躍し、パリに移り現在はスイスのベルンに住んでいます。

■横井照子富士美術館 http://yokoi-fujimuseum.co.jp/
所 在 地:富士市中野464(三ツ倉)
TEL/FAX:0545-36-0470
開 館 日:毎週 金・土・日(10:00〜16:00)
入 館 料:500円(小人・学生無料)
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善得寺公園【2009年3月号】

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■ 概要

 善得寺は、貞治二年(一三六三)、大勲策禅師が開山した寺で、戦国期には駿河国東部でも第一の寺となり、善得寺城も併設したといわれます。また、天文年間の今川義元・武田信玄・北条氏康の駿河国東部を中心とした抗争のなか、今川義元の軍師といわれるとともに善得寺の住持であった太原雪斎の斡旋で成立した「駿甲相三国同盟」の舞台になったところだと伝えられています。しかし、永禄十二年(一五六九)、武田信玄の駿河侵攻にともない寺院はことごとく焼かれてしまいました。

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■ 善得寺

 ここには、明治初年まで再建された善得寺の小堂宇が残っていたところで、富士市指定文化財の大勲策禅師、太原雪斎をはじめとする善得寺歴代の住持の墓が残っています。

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■ 善得寺城

 善得寺城は、富士川以東の今川氏の有力な支城で、今川範政によって善得寺に併設して築城されました。後に北条氏の攻略を受けて北条氏の持城となりましたが、元亀年間に武田氏に攻められ落城しました。

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摩利支天塚【2009年2月号】

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 富士宮市、フイルムパークグラウンドの脇を南に進んだ静かな山の中に、周囲64m、高さ8mほどの石塚があります。途中から舗装のされていない道を進みますので多少不安になりますが、しばらくすると「摩利支天塚」の小さな看板が現れますので、ご安心ください。ということで、今回は謎の史跡『摩利支天塚』を紹介します。

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■ 由来

 この塚は、沼久保小松原の佐野幸左衛門という人が「南無摩利支天」と唱えて巨石を運んで積んだことから『摩利支天塚』と称されているという内容が、正面石碑に記されています。

■ 南無摩利支天

 塚の石は、佐野幸左衛門が一人で集めたといわれており、大石も『南無摩利支天』と唱えると動いたということです。地元ではこの塚を『石塚』と呼び、馬頭観音とともに大切に祀っています。石碑の傍らには、馬の蹄鉄が奉納されています。

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■ 摩利支天

 摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したもので、日本では中世以降に護身・蓄財などの神として信仰を集め、特に武士の間に摩利支天信仰がありました。また、禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されています。

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後藤清吉郎資料館【2009年1月号】

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 金唐和紙の祖として知られ、染色工芸、日本画作家でもあった後藤清吉郎氏(一八九八〜一九八九)は、手漉和紙の静岡県指定無形文化財保持者に認定され、地域の文化振興に多大な影響を及ぼしました。平成二十年七月、故後藤清吉郎氏の工房兼住宅を活用した『後藤清吉郎資料館』が富士宮市豊町にオープンしました。

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■ 富士宮市に来住

 大分県出身で、戦前から染色家として活躍された後藤氏は、東京や京都で日本画・洋画・デザイン・染色などを学びました。千葉県鴨川から富士宮市に転居したのは、終戦直前の昭和二十年のことでした。

■ 手漉和紙

 富士宮市に来住してからは紙漉きの研究をし、駿河半紙を復活させました。また、和紙工芸の発展に大きな功績を残し、型染・ウルシ・印伝・金唐革紙等を応用した新分野を開拓。昭和五十三年には、手漉和紙の静岡県指定無形文化財保持者に認定されました。

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■ 資料館

 後藤氏の工房兼住居としていた資料館は、金唐和紙や型染絵の作品の他、紙漉き道具などが展示されています。運営サポーターという形でボランティアも募集していますので興味のある方はお問い合わせください。

後藤清吉郎資料館(富士宮市豊町4番2号)
問合せ先:0544-26-5230(土日)後藤清吉郎資料館運営サポーターの会
     ※平日の問合せは富士宮市教育委員会教育文化課(0544-22-1187)へ
開館日:土曜・日曜(10:00〜16:00)
入館料:無料
駐車場:有り
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