このコーナーでは、月刊無料情報誌「アウターネット」で紹介した、地元(富士市・富士宮市・旧富士川町・芝川町)のお勧めスポットや史跡・名勝・文化財・観光スポットなどを紹介しています。

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万野琴平神社【2009年10月号】

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■ 由来

 この神社は、伊奈備前守が慶長年間(一五九六〜一六一五)に万野原の開墾を試みたときに、讃岐の金比羅さんを勧請したのが始まりです。しかし、水のない所で開墾が失敗に終わると神社も荒廃してしまいました。その後、江戸時代の末期に再び開墾が始まると、再度金比羅さんを勧請し琴平神社を再興したといわれています。琴平神社は航海安全の神、水神として農業の神とされ、水不足に悩む万野原の人々にとって大事な神社でした。参道両脇の窪地は、水不足を補う溜池になっていたといわれています。

■ 万野用水取水入口石樋

 万野用水は、芝川を取り入れ、すぐ北山用水に合流し、下流で北山用水から分水して万野原にいたる。北山用水への合流点と分水点には、水量を量る石樋が設置されていました。境内の石樋は、横手沢の合流点に設置されていたものです。

■ 弓道場

 富士宮市内の主たる弓道家達が所属する琴平神社弓道場は、富士宮市の弓道活動の中心となっており、朝五時から夜十一時まで利用可能で、仕事前に弓を引く方もいるとのことです。

 

大岩堤【2009年9月号】

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■ 由来

 大岩灌漑貯水池は、江戸時代中期の終わりである明和七年(一七七〇年)桜町天皇の御代に着工し、安永元年(一七七二年)後桃園天皇の御代に完成した由緒ある農業用溜池です。十代将軍家治が治める当時の幕府は経済が困窮しており、時の老中であった田沼意次は窮状回復のために植産振興を計りました。大岩堤は、水田振興のため発起した大岩の農民により造られた貯水池であり、およそ二四〇年前の大事業でした。現在は、NPOビオトープ大岩により整備・管理され地域活動の拠点となっています。

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■ 環境

 大岩堤は、隣接する滝沢川の清流を取り込んでおり、六月頃には多くのホタルが飛び交う様子が見られます。堤の周りには河津桜やハスの花なども咲き、楽しみのひとつです。また、池の中にはカモの親子が泳いでおり、心を癒してくれます。

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■ NPOビオトープ大岩

 NPOビオトープ大岩は、堤での魚釣り大会・写生大会・滝沢川下り・堤周辺植樹など、多彩な活動をおこなうことにより、大岩堤の自然環境整備を核とした地域活性化に努めています。

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出水不動尊(いずりみずふどうそん)【2009年8月号】

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■ 不動信仰の行場

 宇賀神を祀る本堂裏の岩壁にある小滝の側には、上野の寛永寺から船で運ばれたと伝えられる石不動が、朱の剣を握り、目を剥き出した形相で見下ろしています。かつてこの場所には、不動尊の守護寺である『大岩山出水寺』があったと云われています。また、岩場の割れ目にはお堂を護っている大きな白蛇が住んいるという『白蛇伝説』が言い伝えられています。岩場の奥座には石像弁財天が祀られ、修験道の不動信仰の行場とされ、白蛇を崇める霊地であったと考えられています。

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■ 出水八幡宮

 境内には、出水不動尊をはじめ弁財天なども祀られています。また、富士宮市指定の湧水池や保存樹林もあり、様々な角度から楽しめます。

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■ 湧水池と樹林

 日量約810㎥の湧水量があり、古くから農業用水などに利用されてきた湧水池は、富士宮市第5号湧水池として指定されています。また、目通り3m級の巨木6本を含む3,891㎡の樹林は第12 号保存樹林として指定されています。

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吉原山 妙祥寺(よしわらざん  みょうじょうじ)【2009年7月号】

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■ 歴史

 江戸から数えて十四番目となる東海道の宿駅『吉原』は、津波と台風により見附宿時代を含め三度も所替えをし、宿場機能と共に人心の拠りどころである寺社も移転しました。その中の一つである『妙祥寺』は、日蓮聖人の直弟子六老僧の一人、日昭上人を開山に仰ぎ、日雲上人を開基として鎌倉時代末期(1323年)に元吉原今井の地に創建されました。その後(1639年)中吉原に移転、現在の地に移転(1682年)と、津波による被災の度に内陸へ所替えをしたのです。

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■ 境内

 元禄時代以後、寺勢は隆盛し多くの諸堂をと塔中二坊が建立されましたが、安政元年の大地震で諸堂が倒壊。歴代住職と檀信徒の努力により近隣に誇る大本堂(富士五山の一つ上野妙蓮寺より移築)をはじめ、位碑堂・鐘楼堂・大客殿庫裏・歴代廟・永代供養墓が建立され、山容美観新たに現在に至っています。また、高さ20尺を誇る日蓮聖人大銅像、今後の先祖供養継承の変化を思慮した合葬供養墓などがあり、本堂内陣の格天井には、80枚の山野草図が描かれています。

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吉原山 妙祥寺
富士市中央町1丁目9番58号  ☎ 0545(52)1295
【略縁】
宗 派 日蓮宗 身延山久遠寺直末
創 建 元亨3年(1323年)
開 山 六老僧大成弁阿闍梨日昭上人
開 基 香久阿闍梨本実坊日雲上人
本 尊 一塔両尊四士  祖師読経像
鎮守堂 稲荷堂

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鈴川の富士塚【2009年6月号】

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■ 概要

 富士山を信仰の対象としている富士浅間信仰という信仰があります。この信仰では富士山に登山することが修業ですが、江戸時代にはなかなか実際の登山はできませんでした。そこで、富士山のミニチュアを作り登ることで、富士登山を疑似的に体験できる施設が関東地方を中心に作られました。それが『富士塚』です。目の前に本物の富士山がそびえている富士市には富士塚は必要なさそうなのですが、吉原港付近にも『鈴川の富士塚』なる富士塚が存在します。

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■ 丸石の富士塚

 富士塚は通常、富士山から運ばれた溶岩が積み上げられ、本物の富士山同様の登山ルートと要所要所の信仰対象が再現されていますが、『鈴川の富士塚』は、溶岩ではなく丸い石を積み上げて作られています。これは、吉原港に到着した富士行者の人々が海で水垢離をし、登山の安全を願い海岸の石を積み上げて出来たものです。現在はコンクリートで補強され、すっきりした姿ですが、関東の富士塚とは違う発想で造られた独特の富士塚は、一見の価値あり! 

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