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ディアナ号の錨【2012年9月号No.114】


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■ もうひとつの開国

 開国と言えば、下田のペリー来航が語り継がれていますが、富士市宮島沖にも、もうひとつの開国と言える程のできごとが起こりました。1854年、11月4日、後にいう我が国最大級の安政の大地震が起き、日本との友好関係を求めるために下田港にいたプチャーチン提督のロシア軍艦ディアナ号が地震による津波で大破しました。そこで、修理のため戸田港へ出航しましたが途中で嵐に遭い、三四軒屋沖(宮島沖)で沈没しました。宮島の人々は、大地震の後で自分たちも被害に遭っている上に、当時は外国人との接触を禁じられていたにもかかわらず、三日間かけて約500人もの船員全員を助け、被災した彼らに、食べ物や避難場所を提供したそうです。条約による開国や友好関係を結んだわけではありませんが、プチャーチン提督をはじめ、船員たちと彼らを救った宮島の人々の間には、深い友好関係が生まれたとされる記述が残っています。

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■ ディアナ号

 ディアナ号は三本マストを備えた木造帆船で、乗組員500名、大砲60門を乗せていたと言うから、当時の人々は、さぞ驚いたことでしょう。昭和51年、三四軒屋沖24mの海底から引き上げられたディアナ号の錨は、歴史を語る貴重な文化財として、富士市五貫島にある三四軒屋緑道に保存されています。実物は想像以上に大きく、高さ4m、錨爪長3m、重量3t、鎖の長さは42mもあります。
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