(有)アウターネットワークは静岡県富士市、富士宮市周辺地域の活性化を目指しています。   Outer-Network

記事一覧

戦友へ捧げるレクイエム【2015年8月号No.149】


ファイル 197-1.gif

富士宮市上井出に、陸軍少年戦車兵学校(現若獅子神社)が設立されたのは、昭和17年7月。終戦を迎えた昭和20年までの間に、全国から選び抜かれた少年達は、延べ4千人を超えます。そして、戦地に赴いた教官・生徒600人が戦没者となってしまいました。昭和40年、同窓生一同が戦没同窓生の慰霊・顕彰のため、若獅子の塔を建立して以来、毎年慰霊祭が行われています。昭和59年には、729名の奉賛によって『若獅子神社』が創建されました。
 現在、神社の護持管理をしているのが、宮崎県出身で、本校3期生の吉留一利さんです。今年で満90歳の吉留さんは、同窓生の鎮魂のため、毎日神社を訪れ草取りや清掃を行っています。主に同窓生によって守られてきた若獅子神社ですが、現在では存命の方もごくわずかとなり、年に3回開催される祭典への出席者も片手で数えても余る程になってしまったそうです。
 戦後70年を迎えますが、現在何を想いますか。との問いかけに「私は何の欲もありませんし、戦争のことを語れる立場でもありません。ただ、この地からも多くの人達が日本のために戦地に赴き、帰らぬ人となってしまったという事実がここにあります。私ももう長くありません。このままでは、ここはいずれ荒れてしまうでしょう。ここの護持管理だけでも誰かが引き継いでくれるといいのですが…」との返答を頂き、現在の平和は、多くの犠牲者の上に築き上げられたものであるという事を痛感し、胸が熱くなりました。
 戦後生まれの自分にとっては戦後70年ですが、吉留さんにとっては、まだ戦争は終わってないのかもしれない。そして、私達にとっても、終わらせてはいけない問題があるのではないだろうか。

■ 陸軍少年戦車兵学校
昭和14年に起こったノモンハン事件をきっかけに、近代装備と戦車隊拡充の声が高くなり、幹部の資質向上と一騎当千の強兵を養成する目的で
千葉陸軍戦車兵学校に少年戦車兵の生徒隊を創設し、昭和17年、陸軍少年戦車兵学校として富士宮市上井出に移設されました。約30万坪という広大な敷地には、約80の校舎や集会所、軍需工場、車庫、弾薬庫等があり、約80両の戦車が配備されていました。

■ 境内と廠舎跡の戦跡
移設された兵学校の正門の門柱を抜け、若獅子神社境内に入ると、忠霊塔である若獅子の塔が象徴的に聳え立っています。また、猪之頭の旧陸軍廠舎後には、兵舎跡・馬の水飲み場跡・消火栓跡・戦車の防空壕跡・操車場跡等、多くの戦跡が残っています。

ファイル 197-2.gif

■ 隣接用地
隣接する陸軍用地として、陸軍病院と北演習場、校南戦車操縦訓練場、基本射撃場、天神山応用操縦場などがありました。陸軍病院は、国立富士病院として現在に至りますが、操縦場跡やトーチカ跡などは、当時の面影を残したままです。

■ 帰還戦車
若獅子神社には、かつての大戦において陸戦の華、少年戦車兵とともに活躍した機甲部隊の主力の九七式中戦車があります。この戦車は、もっとも熾烈をきわめた玉砕の島サイパンからの帰還戦車で、同時期に帰還したもう一両は修復・整備・塗装され、靖国神社遊就館に展示されています。無数の弾痕は戦争の激しさを訴え、満身の赤錆は戦いの空しさを語り、平和の尊さを教えています。

ファイル 197-3.gif