陸軍少年戦車兵学校の跡地(若獅子神社)が、富士宮市上井出にあるという事実を知ったのは、つい最近のことである。境内にあるサイパンからの帰還戦車を見た時の衝撃は今でも忘れられない。そして「日本人として、広島や長崎をはじめとする多くの地を見ておく必要がある」という気持ちが込み上げて来ました。この地に住む人間として若獅子神社に一度は訪れ、手を合わせていただきたいと思います。
■ 陸軍少年戦車兵学校
昭和十七年、約三十万坪という広大な敷地に『陸軍少年戦車兵学校』が完成、戦地に赴いた多くの卒業生が、戦没者となってしまいました。
■ 若獅子神社
昭和四十年十二月、学校跡のこの地に若獅子の塔を建立したのを起源とし、以来毎年慰霊祭を執り行い、英霊の奉慰・奉顕に務め、建塔二十年を期に富士山本宮浅間大社・靖国神社の御教導により、永久平和への祈りをこめ若獅子神社が創建されました。
■ 帰還戦車
もっとも熾烈をきわめた玉砕の島サイパンにて四十余命の少年戦車兵とともに、勇戦奮闘、祖国の礎となり戦後三十年土中深く無縁をかこっていました。無数の弾痕は戦争の激しさを訴え
満身の赤錆は、戦いの空しさを語り、平和の尊さを教えています。
今回の取材時、偶然参拝に来ていた陸軍少年戦車兵学校の卒業生(狩宿在住)の方に当時の話を伺いました。そして、現在の平和は多くの犠牲者の上に築き上げられたものであるという事を痛感しました。特に「私達は大和民族の日本人です」という言葉が強く印象に残りました。狩宿のおじさん、ありがとうございました。